R-1優勝のピン芸人中山功太さんが、最近また注目されています。
そこで中山功太さんの若い頃と現在に至るまでの流れを、わかりやすくまとめてみました。
中山功太の若い頃
子ども時代は新喜劇に憧れていた
中山功太さんが芸人になりたいと思ったきっかけは、小学生の時に見た「吉本新喜劇」の世界に衝撃を受けたことでした。
「吉本新喜劇」といえば、お芝居と笑いが融合している特殊な笑いの世界です。
「じぶんもこれがやりたい」と思い、小学2年生の時には早くも芸人になることを決めたと言います。
しかしすぐに新喜劇へ進むことを諦めた中山さん。
当時中心となって活躍していたのは「池野めだかさん」「間寛平さん」「島木譲二さん」などでした。
新喜劇は自分には無理だと思ったのが、自分の運動神経の悪さでは、切れのあるおもしろい動きができないと感じたからだそうです。
人のまねをして同じように模擬をするのが苦手だったようです。
活躍している3人のように人を笑わせる動きができない、と小学生ながらに悟ったというのですから、すごいですよね。
中高時代は運動神経の悪さが目立つ
中学ではラグビー部に入っていましたが、中山功太さんは運動が苦手で、それがコンプレックスだったようです。
高校は「東住吉高校」に進学をして公式テニス部へ入りますが、やっぱり球がラケットに当たらなかったり、サームが打てないなど運動神経の悪さが目立ってしまったようです。
新喜劇は諦めたものの、「芸人になりたい」という思いは消えてはいませんでした。
中山功太の同期は売れっ子だらけ
4年の期限で去った相方
高校卒業後に念願だったNSCに入り、ずっと組みたいと思っていた友人の佐藤康資さんと、コンビを結成しました。
NSCの同期の中ではトップグループに入るほどに、面白いとされていたコンビでしたが、2001年7月6日に解散しています。
理由は相方が「4年頑張って売れなかったらやめる」と決めていたようです。
ピン芸人として活動
そこからはピン芸人「中山功太」としての活動を始めます。
中山功太さんの若い頃は、かわいいルックスと笑いの素質もあって、売れる要素は十分持っていました。
しかし大阪NSC22期生は中山功太さん以外にも、後に活躍していく売れっ子が多くいて激戦時代でもあったのです。
☆同期☆
とろサーモン久保田
南海キャンディーズ山里
ダイアン
NONSTYLE
ウーマンラッシュアワー村本
なかやまきんに君
スーパーマラドーナ
キングコング
ノブコブ
この頃の中山功太さんは同棲していた彼女がいましたが、ネタを書くために会社に泊まり込み、常に頭の中はネタ作りでいっぱいでした。
無理な体勢で眠ることも多く、頚椎症になり首の骨が削れてしまい、常に痛みを伴う生活を送ることになってしまったそうです。
頚椎症は姿勢の悪さなどの生活習慣も病気の発症の要因になります。
痛みと共に首や手足にしびれが出たりする症状がでます。
実家は裕福でお金持ちだった
中山功太さんは父が会社を経営していて、27LDKKKで暮らす裕福な家庭で育ちました。
しかし父親の会社は倒産してしまい、豪邸も売却して父は中国へ行ってしまったそうです。
そして一人で暮らすことになった中山功太さんの母は、NSC36期生ピン芸人のアケミ・シャイニングさんとして活動しています。
なんと母も芸人として活動されていたんですね。。。
幼少期や若い頃はお金に苦労してなかったものの、大人になった浩太さんには厳しい生活が待っていました。
R-1グランプリで優勝、しかし…
2009年に「R-1ぐらんぷり2009」で優勝して、中山功太さんは一気に有名になります。
それまでも関西では仕事もたくさんあって、売れっ子ピン芸人の1人でした。
しかしそれが逆に、東京進出を遅らせてしまった原因でもあったようです。
優勝後すぐのオファーを受けれず、2010年4月からようやく東京に活動拠点を移しましたが、この時は大阪のレギュラーもなし、貯金もほとんどない状態でした。
自分を奮い立たせるために、五反田で家賃20万もするマンションに住みました。
しかしやっぱり家賃を払えなくなり、安いところへと引っ越しを繰り返したそうです。
それでも後輩と飲みにいけばすべて支払い、1日で10万、1ヶ月で300万使ったりと、給料に合わない生活を続けていました。
ついに2003年に電気が止まり、芸人バーでアルバイトをするところまで追い込まれたと言います。
引っ越しのたびに借金は膨らんでいき、気づいたら500万の借金を抱えていました。
バイトをしていた芸人バーは、後輩が犯罪を犯したため、その後閉店してしまったようです。
大人になってADHDであることが発覚
芸人仲間からは「中山功太はおもしろい」と絶賛されるほどに、そのお笑いセンスの高さは有名です。
しかし中山功太さんは、ピン芸人としてピークだったR-1グランプリ優勝後に、ADHDという発達障害であることが発覚しています。
頚椎症とADHDの症状が重なった時期に、遅刻が増え飛行機に乗れず、当日の仕事を飛ばしてしまうというミスをしてしまいました。
仕事にしょっちゅう遅刻をすることで、当然ながら信用を失い営業の仕事は来なくなり、そこから営業ゼロが続いたそうです。
周りが当たり前にできることが、自分にはどうしてできないんだろうと感じていたと言います。
小さい頃は多動で落ち着きのない子で、大人になってからは場の空気が読めなくて、仕事場でスタッフに怒られることも多かったみたいです。
・家の前に小学校があったのに、それでも遅刻をしてしまう
・時間配分が苦手
・国語の成績はずば抜けていいけど、算数はかなり苦手と偏りがひどい
・空気が読めずバーッと喋ってしまう
・片付けができない汚部屋に住んでいる
R-1で優勝後にADHDとわかったのですが、診断されたことで冷静に動けることも増えたのではないでしょうか。
遅刻をしないように何時間も前に現場へ向かったり、周囲の意見もよく聞くようになったと言います。
自分なりの生きやすい解決法を探って、うまくADHDと付き合っている印象です。
中山功太の現在の月収18万円
そんな中山功太さんは現在どうしているのでしょうか?
中山功太さんは現在、YouTubeで生配信をしたり、役者の仕事や怪談をしたりと、マルチに活動中です。
営業やルミネの舞台の仕事はいまだにゼロのようですが…
特にYouTuberとしてファンの人と交流することは、自分を面白いと言ってくれる人が集まり、自信をくれる時間でもあります。
借金も減ってきて、月収18万となんとか暮らしていけるほどの収入ですが、今は今で楽しいと感じているようです。
↑中山功太さんのYouTubeチャンネル、ぜひチェックしてみてくださいね。
まとめ
中山功太さんの若い頃から現在までのまとめ
・父が社長で裕福な家庭で育った
・新喜劇に憧れて、小学2年で芸人になることを決めた
・落ち着きのない国語が得意な子供だった
・ピン芸人になって無理が続き、頚椎症になる
・父の会社倒産で、母もピン芸人になる
・R-1で優勝したが、東京進出に一年かかった
・東京で無理な生活をして、借金を背負う
・遅刻が多く営業の仕事もなくなる
・大人になってからADHDの診断を受ける
・現在はYouTubeを中心に活動中
最近は陣内智則さんのYouTubeにも登場したり、まだまだ人気復活のチャンスはありそうです。
才能のある人なので、これからの活躍が楽しみですね。
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